臨床検査技師になるためには、学生時代に数ヵ月間の病院実習があります。 生理、病理、細菌、生化学、輸血センターなど、各検査室をローテーションしながら実践を学ぶ期間です。
しかし、当時の私が現場で感じていたのは、「この仕事は、果たして自分に向いているのだろうか」というネガティブな感情ばかりでした。
知識が足りずに叱られる日々。そして何より辛かったのは、実際にやってみてもモチベーションがどうしても上がらなかったことです。
「職業選択を間違えたのかもしれない。自分はこれを一生かけてやっていくのだろうか......」
暗い気持ちのまま、ただ早く時間が過ぎることだけを願って過ごしていました。
そんなやる気のない状態のまま迎えた、最後のローテーションは病理検査室でした。
実習が終わる数日前のある日、実習時間が終了しようとしているタイミングで、一人の医師がふらっと病理検査室に入ってきました。そして、私に声をかけてくれたのです。
「君、名前はなんていうの?」 「......松崎です」 「ちょっとこっち来れるか」
そのまま病理検査室の奥にある個室へと連れていかれました。 先生はごそごそと何かを探し始め、取り出したのはいくつかのパラフィンブロック(臓器の切片をパラフィンで固めたもの)でした。
「松崎くん。明日1日かけて、この検体を薄切して染色し、スライドガラスを私のところへ持ってきてくれるか?」
もちろん、その検体はすでに診断がついている練習用のもの。なぜやる気のない私に声をかけてくださったのかは分かりませんが、一番良い経験になるであろう実践の機会を与えてくださったのです。
「はい、やってみます」
空いているタイミングを見計らって検査室の機器や薬品を借り、試行錯誤の末、なんとか顕微鏡で観察できる形に仕上げました。
完成した標本を持っていくと、先生は言いました。
「よし、そこに座って」
案内されたのは、二人で同時に覗き込める特殊な顕微鏡の前でした。レンズを覗き込んだ先生は、こう続けました。
「上手くできているね。......うん、これはもう少し綺麗に染まるといいね。でも、ご愛敬だ」
そう言って笑いながら、見えている臓器の特徴や異常のポイントを丁寧に教えてくれたのです。
説明していただいた内容は、何の臓器でどんな疾患だったのか、恥ずかしながら今では全く覚えていません。けれど、そのあとに先生がかけてくださった言葉だけは、17年経った今でも鮮明に覚えています。
「いいか、松崎くん。臨床検査技師はとても立派な仕事なんだよ」
「今、検体を持ってきてくれたけれど、我々医師は君たちがいないと正確な診断をすることができない。実際、症例についてディスカッションすることもあるくらい、重要な存在なんだよ」
その後も先生は、臨床検査技師という職業の価値について、心を込めて語ってくださいました。
自分が「単なる作業員」ではなく、医療チームの一員として期待されているのだと実感し、心が救われる感覚がしました。
先生のお名前すら覚えていませんが、今思い返せば、その風格からきっと偉い立場の方だったのだと思います。そんな方が、一人のやる気のない学生のために時間を割いてくださったことは、今思えば奇跡のような出来事でした。
あの出会いがなかったら、私は病院実習を乗り切ることも、国家試験に向けて腐らずに勉強に打ち込むこともできなかったかもしれません。
現在、私の主な業務は病理検査とは直接関係がありません。けれど、あのとき受け取った「プロとしての誇り」は今も自分の中に息づいており、日々の仕事を楽しむ大きな原動力になっています。
17年という時間が流れても、人の心を動かす言葉は決して色あせないのだと、改めて感じています。

